両手うちわで芸術三昧。

やっほ~☆ユッキーだよお!生まれ変わったらキラキラOLになりたい40代♂歌舞伎中心に舞台や美術館に行った感想を書いていくね☆twitter@yukky_ryoteart

覚悟というものについて―横山大観展@東京国立近代美術館

 

 

基本情報

2018年4月13日(金)~5月27日(日)

10時~17時(金曜・土曜は20時まで、月曜は休館)

東京国立近代美術館

 

混雑具合

金曜夜、18時過ぎに入館、19時45分頃退館。1枚の絵に3、4人くらい。オール大観ということで、もっと混んでいるかなと思っていたけれど、そこまででもなかったかな。

 

構成・イヤホンガイド

第1~3会場までに分かれていた。

第1会場

第1会場がメインで、イヤホンガイドも第1会場内だけ。今回のナビゲーターは中村獅童。獅童、歌舞伎の劇場で聞くよりも落ち着いて耳にしっかりと届く良い声をしていたような。笑 詳しい感想は、下の「覚悟というものについて」で。 

第2会場

第2会場ではなんと全長40メートル超という日本一長い画巻「生々流転」の展示。季節・人生・そして水滴から龍へ、という水の流転する様を描いたもの。お客さんみんなでずらずらと画巻に沿って歩いていくんだけれど、その絵のなかに入り込んで歩いているような気分になってくる不思議。基本は自然が描かれていて、ところどころに猿や鹿や人間が現れるのだけど、実際に遭遇した気持ちになる。たぶん、閉館後はみんなナイトミュージアムばりに動いていると思うよ。ていうか、動かないほうが不思議。

 

第3会場

移動に疲れてきてしまって、あまり記憶に残らなかった。何枚か絵があった。ごめんなさい。

 

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覚悟というものについて―感想

 

横山大観展第1会場は、第一章「明治」の大観・第二章「大正」の大観・第三章

「昭和」の大観という非常にわかりやすい三本構成だった。

 

入場してまず、「明治」の大観が描いた「屈原」に心を奪われた。屈原は楚の詩人で、時の王に仕えたが、讒言によって入水自殺に至った人物だ。その屈原が風吹きすさぶ中に立っている絵である。

 

これは大観が、怪文書によって東京美術学校の校長を辞任した師、岡倉天心と屈原を重ねて描いたものらしい。

 

屈原は、いわれなき悪環境にくじけることなく、しかし正面から相手をして向こうと同レベルに落ちることなく、あくまで高潔でいるのだ、という強い決意と、そして押し殺しきれない怒りを示しているように見えた。

 

己の正義を信じ、天心と共に美校を辞した大観の覚悟も溢れている、そんな絵だった。

 

次に、「大正」の大観で「群青富士」に心を奪われた。金地の屏風に、簡潔にデフォルメされた群青の富士と雪の白が実に美しく心に残る、素晴らしい作品だった。

 

「群青富士」は、「大観作」「富士山の絵」というワードからつい重いものをイメージしてしまうかもしれないのだが、決してそんなことはなく、非常にポップなものだった。大観の、天性の美的センス及び従来の様式にこだわらない革新性を感じさせる絵だ。

 

「群青富士」デザインのおちょこや豆皿などあったらほしいなあと思ったが、なかった(ファイルやトートバッグはあった。)。

 

そして最後に、「昭和」の大観は「国を代表する作家」であり、どの作品からもその覚悟がにじみ出ていて、見ている内に涙がこぼれてしまった。

 

第二次世界大戦は昭和14年から昭和20年にかけて起こった戦争だ。大観はこの間、「彩色報国」を掲げ、絵の売り上げを国に寄付したりなどしていた。

 

戦争画家として批判を浴びることもある大観だが、自身が当時の世相に生きていたとして、絶対に大観と同じ道を歩まないといえる人間はいるだろうか? 誰も大観を批判することなどできないと思う。

 

我々にできることはただ、もう二度と戦争を繰り返さないという固い決意を貫きとおすことだけだ。

 

先ほどの「群青富士」と同じく、富士を描いた「山に因む十題のうち 霊峰四趣・春」「同・秋」(昭和15年4月)は、「群青富士」にあったポップさは消えた代わりに、威風堂々とした雰囲気と、引き締まった緊張感を漂わせていた。ここでは富士はまさに、日本という国のシンボルであって、そのことを大観も、周りも、軍も、皇室も、ただシンボルであれと、望み、信じていたのだろう。

 

大観の、国のための画家という立場への覚悟が見える作品だ。

 

ここでわたしは太宰の「富岳百景」中の一節、「富士には月見草がよく似合う」を思い出した。「富岳百景」は昭和14年の作品で、大観の「霊峰四趣」とほぼ同時代のものである。

 

月見草は白くはかなげで、決して国の象徴などという大それたものではない。

 

大観の「国のシンボルとしての」壮大な富士に対し、太宰の「月見草がよく似合う」庶民的な富士、という印象を受けた。

 

大観が「国のための画家」という覚悟に対し、太宰からは「芸術家として生きる」という覚悟を感じさせる。

 

国を回すために社会というものがある。社会は国民が参加し、自分ができることをすることで、全員で協力してまわしていくものだ。

 

大観は、絵筆で社会に参加した。時代柄、それは、振り返って切り取ってみると戦争協力という風に見えてしまうけれど。

 

しかし、本来、芸術家というのは社会に参加しない、はみ出し者のことをいうのではないだろうか。戦争の時代にあって「富士には月見草がよく似合うなァ」なんて暢気なことを言っている太宰からは、「俺は芸術家として生きるのだ」という思いがひしひしと伝わる。

 

「国を代表する画家として」の覚悟の視点で、なんだか戦争関係の話をしてしまったが、「昭和」の大観コーナーは、大観の「日本の画壇を引っ張っていくために良い絵を描き続けるのだ」という覚悟もびしばし漂う良作ばかりだったよ。

 

さて、「覚悟」という言葉を多用してしまった。ここまで大観や太宰の覚悟に引っ張られたのは、わたしも今、仕事面で、覚悟の時期に来ているからだろう。

 

絵は時が経っても変わらない、不変のものだ(もちろん経年劣化などはあるけれど)。

 

にも関わらず、同じものを見たとしても、そのタイミングによって感じ方が変わってくる。ある時は全く心に響かず軽く流した絵でも、別の時には琴線に触れて涙まで出てくることもある。

 

それは自分の心のコンディション、置かれた環境、最近得た知識などに左右されるものなのだろう。

 

今わたしは、覚悟を決めるべき時期に来ている。しかし躊躇してしまって踏ん切りがつかず、ずるずると後回しにしてしまっている。

 

しかし今回、大観の覚悟に触れ、人生の節目では「覚悟」が必要であると改めて思った。腹をくくり、夢をかなえるため、前に進みたいと思う。

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